政治家の行動について「キッシンジャーの法則」があるという。米ニクソン政権で大統領補佐官や国務長官を務め100歳で亡くなったキッシンジャー氏の指摘で、政治家がポストを歴任し、経験を積んで学習するケースはまれだという。新機軸を打ち出すのは政権就任直後のことが多い。
▼国際政治学者の木村汎・北海道大名誉教授(故人)はこの法則を用い、約10年前の本紙「正論」でロシアのプーチン氏(当時首相)について「利権分配体制の虜囚」と喝破しロシア改革の安易な期待に釘(くぎ)を刺した。
▼こうした法則もキッシンジャー氏の楽観を排した現実的な見方の表れかもしれない。ベトナム戦争和平交渉で、ノーベル平和賞を受賞するなど外交史に残る。その死を悼むが、日本にとってはやっかいな存在だった。
▼1971年、極秘に北京を訪問し、翌年のニクソン大統領訪中で合意した。対ソ戦略上の配慮などから中国と手を結んだとされるが、頭越しの米中接近に日本は衝撃を受けた。元駐米大使の加藤良三氏は以前、正論欄で「日米関係の文脈で彼を有り難い存在と思ったことはない」と書いている。
▼一方でキッシンジャー氏は北朝鮮による日本人拉致事件に関心を寄せていた。2007年、ニューヨークの国連本部で開かれた映画「めぐみ―引き裂かれた家族の30年」の上映会に参加後、「胸が痛む。国際社会は日本の努力を支援すべきで、国際社会がかかわればすべての家族は帰ってこられるだろう」と語っていた。自信に満ち時に高慢ともされる氏の横顔だ。
▼キッシンジャー氏に対北朝鮮への戦略はもう聞けないが、当然、日本の覚悟と取り組みが問われる。冷徹に国益を追求した氏の外交を改めて教訓としたい。
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