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日韓図書協定 片務的な対応は禍根残す(産経N)

 朝鮮半島由来の朝鮮王室儀軌(ぎき)など1205冊の図書を引き渡す日韓図書協定が衆院本会議で、与党と公明党などの賛成多数により可決し、参院に送付された。

 この協定は、昨年8月の日韓併合100年に合わせた菅直人首相談話に基づく措置とされる。しかし、日韓基本条約(昭和40年)で解決済みの問題を蒸し返すことになり、際限のない補償に道を開く危険性をはらむ。

 日韓基本条約は、韓国に対する日本の戦後処理の枠組みを決めたものである。付属文書で、日本は無償供与3億ドル、政府借款(有償)2億ドルの計5億ドルの経済協力を約束し、双方の請求権が「完全かつ最終的に解決された」と明記されている。

 韓国の請求に応じ、日本にある儀軌などを引き渡すことは、互いの請求権を放棄したこの基本条約の趣旨に反するといえる。

 朝鮮王室儀軌は、李氏朝鮮時代の祭礼や行事を絵画や文章で記録した古文書類だ。日本統治時代に朝鮮総督府経由で旧宮内省(現宮内庁)に163冊が移管され、民間から購入した4冊を加えた167冊を宮内庁が所蔵している。

 当初、韓国の要求はこの167冊だけだったが、日本側で広範に調査した結果、1205冊に増えたという。その1205冊を引き渡す協定はすでに昨年11月、日韓両国の外相が署名している。

 同じころ、フランスは朝鮮王朝末期の19世紀に持ち去った図書を韓国に貸与することで合意した。「貸与」と「引き渡し」は意味が全く違う。菅政権の対応は、フランスの対応と比べても著しくバランスを失している。

 衆院本会議で自民党は、一部が韓国に渡っている対馬藩主・宗家(そうけ)の文書などの引き渡しを求めない菅政権の方針に反発し、反対した。日本にある宗家文書は国の重文に指定されている貴重な文化財で、自民党からは「片務的に過ぎる」と、疑問の声が上がっている。当然の指摘だ。

 菅政権は5月中旬にも図書協定を参院本会議で可決、成立させ、5月21日の李明博大統領の訪日に間に合わせたい意向のようだ。しかし、過度の贖罪(しょくざい)意識にとらわれた結果としか思われない一方的、片務的な図書協定は、日韓両国関係の将来に禍根を残しかねない。無理に外交日程に合わせて、成立を急ぐ必要があるだろうか。
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普天間代替施設、V字滑走路を採用…政府方針(読売N)

政府は29日、沖縄県の米軍普天間飛行場移設に伴って、同県名護市辺野古に建設予定の代替施設の形状について、滑走路が2本で米側が支持する「V字案」とする方針を固めた。


 日米両国の外務、防衛担当閣僚による「日米安全保障協議委員会(2プラス2)」での正式合意を目指す。滑走路が1本の「I字案」は断念する。複数の政府関係者が明らかにした。

 北沢防衛相は来月7日に沖縄を訪問し、仲井真弘多知事と会談する。辺野古移設を明記した昨年5月の日米合意実現に向け、V字案に理解を求める考えだが、県外移設を主張する沖縄県側は反対する見通しだ。

(2011年4月30日07時34分 読売新聞)

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する自衛隊の活動状況(28日08時00分現在)

(3) 自衛隊の活動
○陸自

(4月27日)

07時07分 第2施設団が石巻市において捜索活動・瓦礫除去開始

07時40分 第12施設群が気仙沼市において捜索活動・瓦礫除去開始

07時59分 第4師団が南三陸町における捜索活動・瓦礫除去開始

08時04分 第9師団が大船渡市、陸前高田市、釜石町において捜索活動開始

08時04分 第5施設団が南相馬市、新地町において捜索活動・瓦礫除去開始

08時15分 第13施設隊が南三陸町及び東松島市における捜索活動・瓦礫除去開始

09時00分 第301坑道中隊が南三陸町における捜索活動・瓦礫除去開始

○海自

(4月27日)

08時23分 第21航空群回転翼機が被災地周辺における捜索救難飛行実施

08時26分 第2航空群固定翼機が被災地周辺における捜索救難飛行実施

10時57分 「あけぼの」が野々島、柱島及び寒風沢村の被災者に対し生活支援物資輸送

12時30分 「しもきた」が金華山地区の被災者に対し生活支援物資輸送

15時27分 「せとぎり」が気仙沼大島にて被災者19名に対し入浴支援実施

15時30分 「きりしま」が寒風沢島にて被災者22名に対し診療支援及び被災者2名に対し健康相談実施

15時55分 「しもきた」が鮎川金華山にて被災者77名に対し、入浴支援及び被災者16名に対し健康相談実施

16時53分 「すおう」が気仙沼大島浦の浜地区の被災者に対し生活支援物資輸送

17時25分 「のと」が函館から大湊へ陸自トラック2台及び灯油ドラム缶96本輸送

20時15分 横須賀警備隊が宮城県石巻市中央市営駐車場にて被災者270名に対し入浴・シャワー支援実施

○空自

(4月27日)

06時20分 松島基地が沐浴支援開始

06時46分 北空派遣隊(山田)が捜索救護開始

07時00分 松島基地が捜索救助開始

07時03分 松島基地が給水支援開始

07時09分 松島基地が物流管理支援開始

08時00分 北空派遣隊(山田)が物資配送開始

08時04分 北空派遣隊(山田)が炊き出し開始

09時14分 松島基地が医療支援開始

10時48分 松島基地が民生支援(瓦礫撤去)開始

12時59分 航空救難団(新潟)U-125A×1機が捜索救助活動開始(15時23分新潟着陸)

13時32分 航空救難団(松島)UH-60J×1機が捜索救助活動開始(15時00分松島着陸)

○原子力災害派遣による活動

(4月27日)

07時15分 第12旅団各部隊等が福島第1原発30km圏内における救護支援及び捜索活動等開始

空自の緊急発進386回…中国機は2・5倍に(読売N)

防衛省は28日、2010年度に日本領空に接近する外国機に対して航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)した回数が前年度比29%増の386回に上ったと発表した。

 過去20年間では、1991年度の488回に次ぐ多さだった。特に、中国機は前年度の約2・5倍の96回、ロシア機が3割増の264回と活発化した。

 同省統合幕僚監部によると、全体の割合では、ロシア機68%、中国機25%、台湾機2%(7回)、その他5%(19回)だった。前年度8回あった北朝鮮機はゼロだった。いずれも領空侵犯そのものはなかった。

 中国機は、軍用機が日中中間線を越え沖縄県の尖閣諸島に初めて接近。今年3月2日のケースで、Y8哨戒機とY8情報収集機各1機が東シナ海上空を南西諸島の方向に飛行し空自戦闘機が緊急発進した。2機は日本領空に約50キロまで近づいた。ロシア機は、3月21日に戦闘機スホイ27と電子戦機AN12の各1機が日本海上空で領空に接近した。

(2011年4月28日20時23分 読売新聞)

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する自衛隊の活動状況(27日08時00分現在)

(3) 自衛隊の活動
○陸自

(4月26日)

06時25分 第10師団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

06時30分 第9師団 岩手県沿岸部において捜索活動開始

06時55分 第5旅団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

07時00分 第12施設群 気仙沼市において捜索活動開始

07時00分 第13施設隊 気仙沼市、南三陸町、東松島市、七ヶ浜町において捜索活動開始

07時00分 301坑道掘削中隊 南三陸町において捜索活動開始

07時00分 第2施設団 宮城県沿岸部において捜索活動及び瓦礫除去開始

07時55分 第1特科団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

08時00分 第14旅団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

08時15分 第6師団 宮城県沿岸部において捜索活動開始

09時00分 第13旅団 福島県沿岸部において捜索活動開始

○海自

(4月26日)

06時52分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

07時18分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

08時08分 第31航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

08時10分 第31航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

09時01分 第4航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

10時18分 「あまぎり」、柱島及び寒風沢村の被災者に対しガソリン供与

11時25分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

12時11分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

20時00分 横須賀警備隊、宮城県石巻市中央市営駐車場にて被災者239名に対し、入浴・シャワー支援実施

○空自

(4月26日)

05時50分 中空派遣隊(松島)が捜索救護開始

06時10分 中空派遣隊(松島)が沐浴支援開始

07時01分 中空派遣隊(松島)が給水支援開始

07時04分 中空派遣隊(松島)が物流管理支援開始

07時30分 北空派遣隊(山田)が捜索救護開始

07時55分 航空救難団(松島)UH-60J×4機 捜索救助のため松島を離陸

07時58分 航空救難団(百里)UH-60J×1機 捜索救助のため百里を離陸

07時59分 航空救難団(松島)U-125A×1機 捜索救助のため松島を離陸

08時01分 航空救難団(百里)U-125A×1機 捜索救助のため百里を離陸

08時15分 北空派遣隊(山田)が物資配送開始

08時18分 北空派遣隊(山田)が炊き出し開始

09時00分 中空派遣隊(松島)が民生支援開始

09時15分 中空派遣隊(松島)が医療支援開始

13時00分 航空救難団(松島)UH-60J×4機 捜索救助のため松島を離陸

13時29分 航空救難団(百里)UH-60J×1機 捜索救助のため百里を離陸

13時30分 航空救難団(百里)U-125A×1機 捜索救助のため百里を離陸

13時40分 航空救難団(松島)U-125A×1機 捜索救助のため松島を離陸

○原子力災害派遣による活動

(4月26日)

07時22分 CH-47(サーモグラフィ・放射線測定器搭載)×1機 福島第1原発上空モニタリング開始

08時00分 中央即応集団 福島第1原発30km圏内広野町及び南相馬市原町区において捜索活動開始

08時00分 第12旅団各部隊等 福島第1原発30km圏内捜索開始

08時31分 偵察航空隊RF-4×1機 原発の航空偵察(写真撮影)のため百里を離陸

専門家派遣遅れ「本当に失敗だった」班目氏反省(読売N)

内閣府原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は27日、衆院決算行政監視委員会に参考人として出席し、東京電力福島第一原子力発電所の事故発生後、原子力安全の専門家の現地派遣が遅れたことを認めたうえで、「本当に失敗だったと反省しております」と述べた。


 国の防災基本計画では、原子力災害の発生時には、同委の「緊急事態応急対策調査委員」ら専門家を現地に派遣すると定めている。しかし、この日の同委員会で、班目委員長は、地震発生直後に現地に派遣したのは事務局職員1人だけだったと説明。結果的に、安全委が政府の現地対策本部(福島市)に専門家2人を派遣したのは4月17日で、班目委員長は「大変遅くなってしまった」と対応の遅れを認めた。

(2011年4月28日01時37分 読売新聞)

東電社長の自衛隊機輸送、指示の出所不明(産経N)

東京電力の清水正孝社長が3月11日、帰京のため自衛隊輸送機で離陸した後、政府の判断でUターンさせられた問題で、自民党の国防部会は27日、防衛省から事情を聴いた。しかし、防衛省側は輸送依頼の経緯や依頼元について曖昧な説明に終始。出席議員から「誰に言われたのか分からないまま飛行機が飛ぶのか」(石破茂政調会長)などと批判が相次ぎ、防衛省に経緯を調査し同部会に結果を提出するよう求めた。

防衛省、自衛隊消防車撤収へ 原発で放水作業(産経N)

防衛省は27日、東京電力福島第1原子力発電所で放水作業にあたった陸海空3自衛隊の消防車両約10台を撤収させる方針を固めた。撤収は29日の予定で、津波や水素爆発で散乱したがれき除去のため派遣した陸自74式戦車も戻す。東電が実施しているポンプ車での燃料貯蔵プールへの放水やリモコン式重機によるがれき除去作業が安定したと判断した。北沢俊美防衛相は25日に10万人態勢を敷く自衛隊の派遣規模について縮小検討を指示しており、消防車や要員の撤収は態勢縮小の第1弾となる。

 自衛隊の消防車は航空機事故に備えた大型の「AMB3」などで、3月17日から21日にかけ第1原発3号機と4号機の貯蔵プールに計約350トンの放水を行った。その後は東電がアームの長いコンクリートポンプ車で放水しており、自衛隊の消防車は1カ月以上待機を続けていた。

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する自衛隊の活動状況(26日08時00分現在)

3) 自衛隊の活動
○陸自

(4月25日)

06時00分 第14旅団 女川町において給食支援開始

07時00分 第14旅団 女川町において衛生救護支援開始

07時00分 第12施設群 気仙沼市において捜索活動開始

07時00分 第13施設群 気仙沼市、南三陸町、東松島市、七ヶ浜町において捜索活動開始

07時39分 第6師団 UH-1×1機が石巻港周辺における捜索活動開始

07時41分 第6師団 OH-6×1機が七ヶ浜から浦戸四島における捜索活動開始

08時00分 第13旅団 女川町において捜索活動開始

08時40分 第6師団 東松島市において捜索活動開始

11時14分 第6師団 OH-6×1機が七ヶ浜から浦戸四島における捜索活動開始

11時38分 第6師団 UH-1×1機が石巻から東松島における捜索活動開始

15時38分 第6師団 UH-1×1機が石巻港周辺における捜索活動開始

15時40分 第6師団 OH-6×1機が七ヶ浜から浦戸四島における捜索活動開始

○海自

(4月25日)

06時14分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

07時15分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

08時25分 第2航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

08時48分 第31航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

11時59分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

14時49分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

15時30分 「きりしま」が、桂島で33名に対し、診療支援、健康相談実施。

20時20分 横須賀警備隊、宮城県石巻市中央市営駐車場にて被災者227名に対し、入浴・シャワー支援実施

○空自

(4月25日)

06時25分 松島基地が沐浴支援開始

07時03分 北空派遣隊(山田)が捜索救助開始

07時03分 松島基地が捜索救助開始

07時20分 松島基地が給水支援開始

07時21分 松島基地が物流管理支援開始

07時30分 松島基地が仙石線復旧支援開始

07時54分 北空派遣隊(山田)が輸送支援開始

07時55分 航空救難団(新潟)U-125A×1機とUH-60J×1機が捜索救助活動開始(11時35分百里着陸)

07時57分 航空救難団(千歳)U-125A×1機とUH-60J×2機が捜索救助活動開始(12時02分松島着陸)

08時04時 航空救難団(秋田)UH-60J×1機が捜索救助活動開始(11時48分松島着陸)

08時06分 航空救難団(新潟)UH-60J×1機が捜索救助活動開始(11時46分松島着陸)

08時20分 北空派遣隊(山田)が給食支援開始

09時02分 松島基地が瓦礫撤去等開始

09時04分 松島基地が医療支援開始

10時30分 松島基地が入浴支援開始

10時30分 第3輸送航空隊C-1が救援物資(トイレットペーパー、紙おむつ等)を美保から福島へ空輸

11時00分 松島基地が給食支援開始

13時50分 航空救難団(松島)UH-60J×1機が捜索救助活動開始(17時12分松島着陸)

13時53分 航空救難団(秋田)UH-60J×2機が捜索救助活動開始(17時02分松島着陸)

14時06分 航空救難団(新潟)UH-60J×1機が捜索救助活動開始(17時14分松島着陸)

14時17分 航空救難団(千歳)U-125A×1機が捜索救助活動開始(16時59分松島着陸)

14時48分 航空救難団(百里)U-125A×1機とUH-60J×1機が捜索救助活動開始(17時37分百里着陸)

○原子力災害派遣による活動

(4月25日)

08時00分 第12旅団 福島第1原発30km圏内の南相馬市において捜索活動開始

08時00分 中央即応集団 同広野町において捜索活動開始

東電社長・自衛隊機利用問題 枝野氏らが責任転嫁 「車を飛ばすのが当然だ」 実際には不可能(産経N)

東京電力の清水正孝社長が、福島第1原子力発電所が深刻な状況に陥った3月11日夜、出張先から東京に戻るため航空自衛隊輸送機で離陸した後、政府の判断でUターンさせられた問題で、枝野幸男官房長官と北沢俊美防衛相は26日の記者会見で「清水氏は陸路で帰京できたはずだ」として、政府の対応に問題がなかったとの考えを強調した。実際には、東日本大震災直後に東海道新幹線は運行停止し、東名高速など主要道路も通行止めや渋滞で利用できなかった。何でも東電に責任転嫁する政権の体質がまた浮き彫りとなった。

 枝野氏は「名古屋-東京間は車を飛ばしても走れる状況だ。なぜ自衛隊に頼んだのか。自衛隊機が飛ばないなら自動車を飛ばすのは当然だ。常識ではないか」と強弁。「北沢防衛相は(輸送機について)被災者救援の輸送を最優先すべきだと指示していた。被災者救援に総力を挙げていた状況だったので防衛相の指示は妥当だった」と正当性を強調し、清水氏を輸送機にいったん乗せた自衛隊に対して「防衛相決裁を受けずになぜいったん飛び立ったのか、逆に不思議だ」と不快感を示した。

 北沢氏も「新幹線が動いていて高速道路が閉鎖されていない中で対応する道がそれぞれあったのではないか」と述べ、責任を清水氏に押しつけた。
清水氏は3月11日午後、地震発生を受けて奈良市から名古屋市に移動。その後、陸路は厳しいと判断し、空自小牧基地から輸送機に搭乗したが、約20分後Uターンさせられた。

 だが、JR東日本とJR東海によると、東海道新幹線(名古屋-品川区間)は地震発生当時に運行中の列車が約4時間後に運転再開したのみで、他は運転を見合わせていた。在来線の東海道本線も運行を取りやめている。

 さらに中日本高速道路によると、3月11日夜の東名高速道路は清水(静岡県)-富士(同)インター間が通行止め。中央自動車道で迂回(うかい)しようにも山梨県内の2区間が通行止めとなっていた。主要国道も大渋滞が起きており、枝野氏らの言うように「車を飛ばす」のは不可能だった。



自衛隊支援、10万人態勢の縮小検討を…防衛相(読売N)

北沢防衛相は25日の防衛省災害対策本部会議で、東日本大震災の被災地支援に10万人規模であたっている陸海空3自衛隊の態勢について、「どの時期から減らしていくか検討に入っていただきたい」と述べ、縮小に向けた検討を指示した。


 北沢氏は態勢見直しの理由として、震災発生から1か月半が過ぎて復旧活動が進み、自衛隊の役割が当初の捜索・救助、物資輸送から、給水や給食などの生活支援に変化し、がれき除去でも遺体収容が伴わないケースが多くなってきていることを挙げた。

 自衛隊は菅首相の指示を受けて3月18日から「10万人態勢」を維持している。

(2011年4月25日22時44分 読売新聞)

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する自衛隊の活動状況(25日08時00分現在)

(3) 自衛隊の活動
○陸自

(4月24日)

04時30分 第13旅団 新地町において炊事作業開始

06時13分 第13旅団 新地町において物資輸送開始

07時30分 第5旅団 石巻市において捜索活動開始

08時33分 第1地対艦ミサイル連隊 石巻市雄勝町において捜索活動開始

○海自

(4月24日)

08時19分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

08時52分 第4航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

11時57分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

12時20分 横須賀警備隊、宮城県石巻市中央市営駐車場にて被災者212名に対し、入浴・シャワー支援実施

16時04分 「くにさき」、桂島、寒風沢島地区の被災者52名に対し、入浴・シャワー支援実施

○空自

(4月24日)

07時00分 松島基地が捜索救助開始

07時02分 北空派遣隊(山田)が輸送支援開始

07時12分 松島基地が給水支援開始

07時12分 松島基地が物流管理支援、瓦礫撤去等開始

07時18分 松島基地が医療支援開始

07時28分 松島基地が仙石線復旧支援開始

07時53分 北空派遣隊(山田)が捜索救助開始

07時58分 航空救難団(新潟)U-125AとUH-60Jが捜索救助活動開始(12時01分松島着陸)

08時06時 北空派遣隊(山田)が給食支援開始

11時32分 松島基地が給食支援開始

13時00分 航空救難団(新潟)U-125AとUH-60Jが捜索救助活動開始(17時01分松島着陸)

13時09分 第1輸送航空隊C-130が救援物資(食料品等)を名古屋、福岡から松島へ空輸

13時31分 北空派遣隊(山田)が燃料支援開始

○原子力災害派遣による活動

(4月24日)

07時27分 CH-47(サーモグラフィ・放射線測定器搭載)×1機 福島第1原発上空モニタリング開始

08時29分 偵察航空隊RF-4×1機 原発の航空偵察(写真撮影)のため百里を離陸(09時03分 百里着陸)

09時10分 第12旅団各部隊等 福島第1原発30km圏内捜索開始

帝京大学教授・志方俊之 災害列島に少なすぎる陸自定員(産経N)

≪身近で頼れる存在になった≫

 東日本大震災と原発事故で、わが国が抱える構造的な「脆(もろ)さ」が白日の下にさらけ出された。一方でわれわれが日頃、意識してこなかった「凄(すご)さ」も見えてきた。

 その第1に、被災者が見せてくれた我慢強さと秩序ある行動、そして地域社会の強い絆が挙げられることは言うまでもなかろう。

 次に地方自治体の底力である。自治体がしっかり機能している上に国政は成り立っているということが鮮明になった。物資提供・要員派遣・被災者受け入れなど自治体間の協力は頼もしい限りだ。

 第3に、義援金、生活物資の提供やボランティア活動など個人、企業が示した心意気がどれほど被災者を元気づけているか、だ。

 世界の大半の国が何らかの形で支援の手を差し伸べてくれていることが、それに続く。政府開発援助(ODA)のみならず、国連平和維持活動(PKO)と国際緊急援助隊活動、世界各地で黙々と行われてきた日本の若者たちによる人道支援活動などへの好意と感謝の気持ち、と受け止めてよい。

 第5に、任務に対する忠誠心の高さである。押し寄せる津波を眼前にして最後まで持ち場を離れず波に呑(の)まれて逝った首長、警官、消防士、医師、看護師…。高い放射能を発する原発事故現場では今も多くの技術者、作業員たちが事故収束を目指して闘っている。

 「凄さ」で以上の5点に勝るとも劣らなかったのが、自衛隊の力量発揮である。かつて国民が自衛隊をこれほど身近で頼れる存在と感じたことはなかった。警察があるから犯罪が起こる、消防があるから火事が起こる、と言う者はいない。しかし、自衛隊があるから戦争に巻き込まれると妄言を弄する政治家は少なからずいた。自衛隊は今回、そんな世迷い言など一蹴するような、活動成果と国民の信頼を手にしたといっていい。

 自衛隊の災害派遣活動が高く評価されているには理由がある。

 まず、各県知事からの派遣要請が即座で、それを受け準備態勢に入った第一線部隊への出動命令も極めて早く出されたことだ。自衛隊は元来、有事即応の組織で、指揮命令系統も首相→防衛相→自衛隊と単純明快にされており、比較的早期に10万超の兵力の一挙大量投入に踏み切ることができた。

 ≪早期、一挙投入が効果挙げた≫

 陸海空三自衛隊の出動部隊を統合任務部隊に組織し、任務分担と相互の協力支援体制を早めに確立し、自衛隊が持つ放射線計測器材や温度測定機を原発事故現場で早い段階から使うことができた。

 日米共同調整所が機能し、米軍の「トモダチ作戦」との連携が円滑に行われた。挑戦した予備自衛官の招集と、自衛隊が構築した地方自治体や民間からの救援物資の輸送スキームもうまく働いた。

 結果として、自衛隊の真骨頂といえる即応性、自己完結性、大量動員性、装備の特殊性が十二分に生かされて、統一指揮・一挙投入という運用の鉄則が貫かれた。

 今回の災害派遣は自衛隊にとっては史上最大の作戦だった。終了後に、多角的な分析が行われ、教訓が纏(まと)められるだろうが、現時点で何点かを指摘しておきたい。

 発災直後に、壊滅した被災地に入り、人命救助のため人海作戦ができるのは陸上自衛隊だ。その陸自の定員数があまりにも少ない。陸自隊員1人で国民約900人の生命を守っている計算だ。兵士1人当たりのその数字は、フランスで約470、ドイツで約510、イタリアで約550、英国では640だ。災害列島日本で国民の生命を守るのに、西欧諸国の半分程度の隊員数でいいのだろうか。

 ≪ロボット導入、機甲化など教訓≫

 陸自は情報収集手段として無線誘導の小型ヘリを装備しているとはいえ、それだけでは不十分だということが、今回の原発事故などで分かった。建物の外から入って中を偵察するロボットや屋外、例えば窓などから飛来して屋内を偵察できる超小型のロボット飛翔(ひしょう)体を開発・導入する必要がある。

 前述の米軍の「トモダチ作戦」には、とりわけ仙台空港を早期に復旧した空挺部隊の活躍など、特筆すべきものがあった。その分、陸自空挺部隊に空挺らしい出番がなかったのは残念だったが。欲をいえば、せっかく駆け付けてくれた米海兵隊の特殊兵器事態対処部隊(CBIRF)にも何らかの実地の機会が設けられていたなら、訓練ではない本物の活動を参考にできただろう。軍の部隊を扱うときには、兵士の“武士の心”に配慮した対応も肝要なのである。

 陸自第七(機甲)師団を北方警備のため残置した結果、トラックで被災地入りできない初動段階で装甲車数が不足したのも教訓である。一般師団も一個普通科連隊を装甲車化しておくべきだろう。

 ともあれ、今回の救援作戦が実行できたのは、日頃からの厳しい訓練の賜物(たまもの)だ。本番より苦しい訓練で部隊を鍛えておくのが自衛隊だ。弾丸が飛んでくる戦場で国を守り貫く本来の任務を考えれば、この程度の災害派遣は朝飯前でやり遂げられるはずである。御苦労様、自衛隊、頑張ろう、日本。(しかた としゆき)

震災当日、東電社長の輸送機が防衛省指示でUターン(産経N)

東京電力の清水正孝社長が、福島第1原子力発電所が深刻な事故に見舞われた3月11日の東日本大震災当日、出張先から東京に戻るため航空自衛隊の輸送機で離陸後、防衛官僚の判断でUターンさせられていたことが25日、分かった。被災地救援を優先させるべきとする北沢俊美防衛相の意向をくんだ過剰反応ともいえる。しかも、輸送機がいったん離陸したことは北沢氏に報告されておらず、官僚との間で十分な意思疎通が図れていなかったことが、結果的に清水社長を足止めする原因となった。

 清水社長が都内の本店に戻るのは翌12日午前10時までずれ込み、防衛省内には「離陸した輸送機をUターンさせるロスを考えれば、そのまま飛行させるべきだった」(幹部)との指摘もある。

 自衛隊関連行事での民間人の政権批判を封じた昨年11月の防衛事務次官通達をはじめ、防衛省・自衛隊は民主党政権から「政治主導」の圧力を受けていたが、危機管理の重要局面でいびつな関係があらわになった形だ。

 清水社長は震災当日、関西に出張中で、奈良市の平城宮跡も視察した。東電によると清水社長は午後3時ごろ、帰京すると伝えてきたが、東京に向かう高速道路が通行止めとなり、奈良から名古屋まで電車で移動。名古屋空港から東電グループの民間ヘリで帰京しようとした。だが、航空法の規定でヘリは午後7時以降は飛行できなかった。

 防衛省によると、午後9時半ごろ、首相官邸にいた運用企画局長に対して、清水社長を空自輸送機に搭乗させるよう要請があった。官庁間協力に基づく、経済産業省からの働きかけとみられる。
清水社長は名古屋空港と同じ敷地内にある空自小牧基地からC130輸送機に搭乗。11日午後11時半ごろ入間基地(埼玉県)に向けて離陸した。

 防衛省では同じ11時半ごろ、運用企画局事態対処課長が北沢氏に「東電の社長を輸送機に乗せたいとの要請がある」と報告。北沢氏は「輸送機の使用は(東日本大震災の)被災者救援を最優先すべきだ」と強調した。

 これを受け、事態対処課長は統合幕僚監部などを通じ、空自部隊に清水社長を搭乗させないよう指示しようとしたが、すでにC130は離陸していた。ただ、離陸直後だったため、課長は即座にUターンするよう求めた。同機は離陸から約20分後にUターンし、12日午前0時10分ごろ小牧基地に着陸した。

 課長は清水社長が搭乗したC130が離陸し、それをUターンさせたことを北沢氏に報告していなかった。北沢氏は最近までこうした事実関係を把握していなかった。

 課長は産経新聞の取材に「大臣指示を受け、災害派遣医療チーム(DMAT)など人命救助のための人員輸送を最優先すべきと判断し、Uターンを求めた。判断は適正だったと考えている」と述べた。

 清水社長は12日早朝、チャーターした民間ヘリで名古屋空港を離陸し、本店に到着したのは午前10時ごろだった。清水社長が不在の間、第1原発では原子炉内の水が失われ炉心溶融が進む一方、原子炉内部の放射性物質を含む蒸気を外部に逃す「ベント(排気)」と呼ばれる措置も遅れた。


9割水死 津波の怖さを軽視するな(産経N)

震災犠牲者の92%は水死だった。警察庁が発表した岩手、宮城、福島の3県の検視結果は、東北地方の太平洋岸を襲った巨大津波の凶暴さを、改めて物語る。圧死や外傷による死者(4・4%)、焼死(1・1%)の多くも引き金は津波とみられ、ほとんどは津波に命を奪われた。

 一方、東海・東南海・南海地震で津波被害が想定される静岡、愛知、三重、和歌山、徳島、高知の6県では、東日本大震災の発生後に大津波警報や津波警報に基づく避難指示・勧告が出された地域で、指定場所に避難した住民は2・5%にとどまった。

 昨年2月のチリ地震津波でも、同様の調査で避難率は3・8%だった。津波多発国の住民の多くが、津波の恐ろしさを軽視していたと言わざるを得ない。

 津波から命を守る唯一の手段は「逃げる」ことだ。災禍を肝に銘じ、避難行動の大切さを再認識しなければならない。

 今回の震災では、避難する意思があっても逃げられなかった犠牲者も多い。仙台市若林区の荒浜地区では近くに小高い場所がなく、多くの住民が家屋とともに濁流にのまれた。三陸沿岸では、想定を超える津波が避難所を襲い、多数の犠牲者を出した地域もある。

 住民全員が安全かつ迅速に避難できる施設を確保し、「逃げられない人」をなくすことが、復興の最優先課題である。

 そのうえで「逃げない人」を減らさなければならない。自治体や防災機関による情報発信も大切だが、決め手になるのは一人一人の意識だ。
津波警報や避難指示が出ても「実際の津波は大したことないよ」と、自分勝手に判断する人が多かったのではないか。また、津波警報が出ても、予測された波高よりも実際の津波が小さいケースが続くと、警戒心が薄れていく。津波の場合は、こうした自己判断や無警戒が命取りになる。

 気象庁は、津波の危険をいち早く知らせる使命があり、予測精度には限界がある。住民は一定の「外れ」を想定して、根気よく避難行動を続けてほしい。予測したほどの津波がこなかったときは、徒労ではなく「実践的な避難訓練ができた」と考えるくらいの、前向きな意識が必要だろう。

 重ねて書く。津波から命を守る方法は「避難」だけだ。


将補人事(4.27)

防衛省発令
陸将補に昇任させる
(統合幕僚監部防衛計画部計画課長) 1等陸佐西浩
(陸上幕僚監部監理部総務課庶務室長) 1等陸佐清田安志
(陸上幕僚監部人事部募集・援護課長) 1等陸佐山内大輔
(陸上幕僚監部防衛部情報通信・研究課長) 1等陸佐甲斐芳樹
(北部方面総監部情報部長) 1等陸佐成田千春
(陸上自衛隊輸送学校長) 1等陸佐保坂收
(自衛隊中央病院診療技術部長) 1等陸佐城谷寿樹
海将補に昇任させる
(海上幕僚監部総務部総務課長) 1等海佐岡浩
(海上幕僚監部装備部武器課長) 1等海佐舩木洋
(海上自衛隊幹部候補生学校副校長) 1等海佐大津雅紀
統合幕僚監部総務部長を命ずる
(陸上自衛隊富士学校普通科部長) 陸将補太田牧哉
統合幕僚学校副校長を命ずる
海上幕僚監部総務部副部長
海将補中西正人
兼統合幕僚監部付
陸上幕僚監部監察官を命ずる
(北部方面総監部幕僚副長) 陸将補深津孔
北部方面総監部幕僚長を命ずる
兼ねて札幌駐屯地司令を命ずる
(第15旅団長) 陸将補反怖謙一
北部方面総監部幕僚副長を命ずる
(陸上幕僚監部人事部人事計画課長) 陸将補本松敬史
東部方面総監部幕僚副長を命ずる
(陸上幕僚監部人事部募集・援護課長) 陸将補山内大輔
第1師団副師団長を命ずる
兼ねて練馬駐屯地司令を命ずる
(陸上幕僚監部防衛部情報通信・研究課長) 陸将補甲斐芳樹
第8師団副師団長を命ずる
兼ねて北熊本駐屯地司令を命ずる
(中央即応集団副司令官) 陸将補今浦勇紀
第9師団副師団長を命ずる
兼ねて青森駐屯地司令を命ずる
(北部方面総監部情報部長) 陸将補成田千春
第12旅団長を命ずる
(陸上自衛隊富士学校副校長) 陸将補塩崎敏譽
第15旅団長を命ずる
(自衛隊情報保全隊司令) 陸将補友部薫
中央即応集団副司令官を命ずる
(統合幕僚監部防衛計画部計画課長) 陸将補西浩
第1ヘリコプター団長を命ずる
兼ねて木更津駐屯地司令を命ずる
(陸上幕僚監部監理部総務課庶務室長) 陸将補清田安志
通信団長を命ずる
(第1師団副師団長兼練馬駐屯地司令) 陸将補小林英彦
富士教導団長を命ずる
(第9師団副師団長兼青森駐屯地司令) 陸将補川朗
陸上自衛隊富士学校副校長を命ずる
(富士教導団長) 陸将補越智正典
陸上自衛隊富士学校普通科部長を命ずる
(第8師団副師団長兼北熊本駐屯地司令) 陸将補有登聖
陸上自衛隊航空学校長を命ずる
兼ねて明野駐屯地司令を命ずる
(第1ヘリコプター団長兼木更津駐屯地司令)陸将補金丸章彦
陸上自衛隊関西補給処長を命ずる
兼ねて宇治駐屯地司令を命ずる
(陸上自衛隊航空学校長兼明野駐屯地司令) 陸将補福盛裕一
海上幕僚監部総務部副部長を命ずる
(第4護衛隊群司令) 海将補山村浩
海上幕僚監部装備部長を命ずる
(海上自衛隊第3術科学校長) 海将補細谷正夫
海上幕僚監部技術部長を命ずる
(海上自衛隊補給本部副本部長) 海将補藏迫兼志
第4護衛隊群司令を命ずる
(海上自衛隊幹部候補生学校副校長) 海将補大津雅紀
呉地方総監部幕僚長を命ずる
(海上幕僚監部総務部総務課長) 海将補岡浩
海上自衛隊第1術科学校長を命ずる
(呉地方総監部幕僚長) 海将補鍜治雅和
海上自衛隊第3術科学校長を命ずる
(統合幕僚学校副校長) 海将補市川武彦
海上自衛隊補給本部副本部長を命ずる
(技術研究本部副技術開発官(船舶担当)) 海将補岩洋一
航空救難団司令を命ずる
(航空教育集団司令部幕僚長) 空将補若林秀男
航空教育集団司令部幕僚長を命ずる
(統合幕僚監部総務部長) 空将補尾形誠
自衛隊情報保全隊司令を命ずる
(東部方面総監部幕僚副長) 陸将補冨樫勝行
自衛隊仙台病院長を命ずる
(自衛隊中央病院診療技術部長) 陸将補城谷寿樹
自衛隊阪神病院長を命ずる
兼ねて川西駐屯地司令を命ずる
(自衛隊仙台病院長) 陸将補森善久
技術研究本部副技術開発官(船舶担当)を命ずる
(海上幕僚監部装備部武器課長) 海将補舩木洋
退職を承認する(勧奨)
(通信団長) 陸将補盛一丈嗣
(陸上自衛隊関西補給処長兼宇治駐屯地司令)陸将補鎌田正広
(自衛隊阪神病院長兼川西駐屯地司令) 陸将補近藤壽郎
(以上4月27日)

将官人事(4.27)

防衛省発令
陸将に昇任させる
(陸上幕僚監部監察官) 陸将補宮嵜泰樹
(北部方面総監部幕僚長) 陸将補湖隆
(第12旅団長) 陸将補堀口英利
海将に昇任させる
(海上幕僚監部装備部長) 海将補矢野一樹
(海上幕僚監部技術部長) 海将補曽我眞二
(海上自衛隊第1術科学校長) 海将補佐々木孝宣
空将に昇任させる
(航空救難団司令) 空将補石野次男
第1師団長を命ずる
(北部方面総監部幕僚長兼札幌駐屯地司令) 陸将湖隆
第8師団長を命ずる
(第12旅団長) 陸将堀口英利
第10師団長を命ずる
(陸上幕僚監部監察官) 陸将宮嵜泰樹
陸上自衛隊幹部学校長を命ずる
兼ねて目黒駐屯地司令を命ずる
(第10師団長) 陸将河村仁
陸上自衛隊研究本部長を命ずる
(第1師団長) 陸将中川義章
潜水艦隊司令官を命ずる
(海上幕僚監部装備部長) 海将矢野一樹
舞鶴地方総監を命ずる
(海上自衛隊第1術科学校長) 海将佐々木孝宣
中部航空方面隊司令官を命ずる
(航空救難団司令) 空将石野次男
技術研究本部技術開発官(船舶担当)を命ずる
(海上幕僚監部技術部長) 海将曽我眞二
退職を承認する(勧奨)
(第8師団長) 陸将寺芳治
(陸上自衛隊幹部学校長兼目黒駐屯地司令) 陸将長谷部洋一
(陸上自衛隊研究本部長) 陸将師富敏幸
(潜水艦隊司令官) 海将永田美喜夫
(舞鶴地方総監) 海将柴田雅裕
(中部航空方面隊司令官) 空将渡邊至之
(技術研究本部技術開発官(船舶担当)) 海将安達孝昭
(以上4月27日)

「北朝鮮で工作員教育」 不法在留の韓国籍の男が供述(産経N)

愛知県警に入管難民法違反(不法在留)容疑で逮捕、起訴された韓国籍の男(67)が「昭和42年に日本から北朝鮮に連れ出され、工作員教育を受けた」と供述し、その内容を詳しく説明していることが22日、捜査関係者への取材でわかった。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関係者の関与のほか、出入国などの手口がこれまでの捜査で判明した日本人拉致事件と酷似しており、警察当局が注目している。

 男は東京都あきる野市内に住む元建設作業員。名古屋地裁で22日に開かれた初公判で、入管難民法違反罪の起訴内容を認める一方、「(北朝鮮の)諜報員としての活動は一切していない」と証言した。

 捜査関係者や検察側の冒頭陳述によると、男は同39年に日本に密入国。愛知県内に住んでいた42年、朝鮮総連の幹部に「東京に行かないか」と誘われ上京、翌日すぐに案内役の男から旅行に誘われた。

 電車で青森に行った後、タクシーで海岸に連れて行かれ乗船。北朝鮮では工作員になる訓練を強制され、平壌市内のホテルで2カ月間にわたって思想教育を受けた。男の供述によると、内容は、抗日運動の歴史や朝鮮労働党の主体(チュチェ)思想、日米帝国の悪の実態だったという。

続いて山中の小屋に移され、乱数表の解読方法や身の隠し方、重機の操作などの訓練を約1カ月間受けた。この後、日本に帰ったら出頭して韓国に強制送還され、韓国内で祖国統一のための仲間集めや韓国で革命が起きた際の後方支援を行うよう指示された。

 男は42年6月、北朝鮮から北海道の近くまで船で行き、小型船に乗り換えて上陸。乱数表と工作資金約20万円を渡されたが、結局、北朝鮮側の指示に従わず、日本で不法在留を続け、東京や神奈川両都県などで職を転々として暮らしたという。

 警察当局は、朝鮮総連の関係者が工作員獲得に関与していた可能性が高い点や北朝鮮が対韓国工作を活発化させていた時期と一致する点に注目。日本人の拉致事件とも手口が酷似していることから、供述の信憑(しんぴょう)性が高いとみて、慎重に分析を進めている。

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首都圏地盤に力、南関東のM7級誘発も…東大研(YAHOO)

東日本大震災で起きた地殻変動の影響で、首都圏の地盤に力が加わり、地震が起きやすい状態になっているとの解析結果を、東京大地震研究所のグループが22日、発表した。

 解析結果は、大震災後に発生した地震の分布ともほぼ一致している。同研究所では、国の地震調査委員会が今後30年間に70%の確率で起きると予測しているマグニチュード7級の南関東の地震が誘発される可能性があるとして、注意を呼びかけている。

 同研究所の石辺岳男・特任研究員らは、首都圏で過去24年間に起きた約3万の地震で破壊された領域が、大震災でどのような影響を受けたかを解析。地震が起きやすくなる力が働く領域は約1万7000で、起きにくくなる領域の約7000よりも多いことが分かった。震源が30キロよりも浅い地震は静岡県東部から神奈川県西部で、30キロよりも深い地震は茨城県南西部、東京湾北部で起きやすくなっていることが判明した。

被災地で活動の自衛隊員、延べ403万人(読売N)

東日本大震災の被災地支援にあたる陸海空3自衛隊の隊員の活動人数が21日に延べ約403万人(42日間、速報値)と、400万人を超えた。


 国内の災害派遣として過去最大だった阪神大震災の時は延べ約220万人(101日間)。防衛省によると、21日に活動中の隊員数は約10万6450人で、3月18日から35日間連続で10万人態勢が続く。

 これに関連し、北沢防衛相は21日の衆院安全保障委員会で、当面は10万人態勢を維持するとしながらも、「徐々に警察、市町村、都道府県という本来任務の方に任せる」と述べた。月内をめどに、新たな支援のあり方を決める方針だ。

(2011年4月22日09時44分 読売新聞)

東日本大震災・自衛隊の行動(21日0800)

(3) 自衛隊の活動
○陸自

(4月20日)

04時30分 第13旅団 新地町役場において給食支援開始

07時00分 第12旅団 30㎞圏内捜索開始

07時53分 第1地対艦ミサイル連隊 石巻市において捜索開始

07時57分 第2地対艦ミサイル連隊 女川町において捜索開始

08時00分 第13施設隊 気仙沼市、南三陸町、東松島市、七ヶ浜町において捜索、瓦礫除去等開始、第3地対艦ミサイル連隊が女川町で捜索開始、第101特科大隊及び第133特科大隊が石巻市で捜索開始

08時20分 第12施設群 気仙沼市において捜索、瓦礫除去等開始

08時30分 301坑道掘削中隊 南三陸町において捜索、瓦礫除去等開始

10時00分 大14旅団 入浴支援開始

15時56分 第13旅団 巡回診療開始

○海自

(4月20日)

08時36分 第2航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

09時36分 第21航空群回転翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

17時00分 横須賀警備隊、宮城県石巻市中央市営駐車場にて被災者176名に対し、入浴・シャワー支援実施

○空自

(4月20日)

05時07分 秋田救難隊UH-60×1機が、余震の状況偵察のため秋田離陸

06時20分 松島基地が沐浴支援開始(石巻市)

06時57分 松島基地が捜索救助開始

06時58分 松島基地が物流管理支援開始

07時33分 北空派遣隊(山田)が捜索救護開始

07時57分 北空派遣隊(山田)が物資輸送開始

08時05分 北空派遣隊(山田)が炊き出し開始

08時08分 松島救難隊U-125とUH-60Jが石巻周辺で捜索救助活動開始

08時15分 北空派遣隊(山田)が救護作業開始

08時25分 松島基地が環境整備(大曲地区清掃)開始

08時27分 北空派遣隊(山田)が捜索救護開始

08時37分 松島基地が環境整備(参考館清掃)開始

08時54分 松島基地が瓦礫除去開始

09時13分 松島基地が医療支援開始

11時28分 入間ヘリCH-47 救援物資輸送のため石巻総合グラウンドから清崎運動公園まで空輸

12時47分 第3輸送航空隊C-1が救援物資(食糧)を福岡から花巻へ空輸

13時44分 松島基地が入浴支援開始

○原子力災害派遣による活動

(4月20日)

08時29分 偵察航空隊RF-4×1機 原発の航空偵察(写真撮影)のため百里を離陸(09時03分 百里着陸)

07時00分 第12旅団各部隊等 福島第1原発30㎞圏内捜索開始

07時15分 CH-47(サーモグラフィ・放射線測定器搭載)×1機 福島第1原発上空モニタリング開始(07時15分)

15時00分 護衛艦「さわゆき」、多用途支援艦「えんしゅう」、護衛艦搭載ヘリコプターにより、福島第1原発30km圏内の捜索開始

15時00分 百里救難隊 U-125×1機、UH-60J×1機、 福島第1原発30km圏内の捜索開始

国際教養大学 理事長・学長 中嶋嶺雄 震災で痛感した対外発信の弱さ(産経N)

ご存じの読者も少なくないと思われるが、秋田市にある私たちの国際教養大学は、全学生に1年間の海外留学を義務付けており、また海外からも、1学年の定員(175人)にほぼ相当する数の留学生を受け入れている。

 今回の東日本大震災で卒業式は中止して、東北地方出身の在学生や、キャンパス外にいた七十数人の留学生の安否をまず第一に確認した。3月中旬のいわゆるギャップイヤー(入学前に国内外で自主研修して単位を取得する制度)を伴う9月入学生の入試は、当初、予定していた仙台で行うことを断念して1週間延期し、往復のバスを仕立てて、受験生に秋田まで来てもらって実施した。

 2日半の停電により、キャンパスも水や電気がストップしたが、大震災の犠牲者や被災者のことを思えば、この程度の不便は当然しのぐべきだという了解で、阪神・淡路大震災で被災した家庭の出身者をはじめ20人前後の学生がすでに、被災地救援のボランティア活動に馳せ参じている。

 大学の入学式も4月下旬に延期し、大震災が起きた当日の3月11日以降は、全世界120校に近い提携校との連絡や、この秋~冬学期に在学していた161人の留学生の家族からの問い合わせに大わらわで対応してきた。

 ◆留学生の8割余が帰国した

 秋田は安全だと説いたのだが、まず、在京フランス大使館は、自国の留学生に直接連絡し、成田空港に待機させていたチャーター機に乗せて帰国させてしまった。ドイツからの留学生もほぼ同様に自国に帰ってしまった。

 モンゴルからの留学生の母親は直接、学長室に2度も電話をかけてきたので、懇切に説明したのだったが、その学生も一時帰国してしまった。中国からの留学生も北京に帰ったまま、様子見をしているということである。

 在日米大使館は、3月31日付の「渡航警告」にアルファベット順でAkitaを真っ先に載せていたので影響は大きく、本学が秋田県に代わり抗議した。

 パリに住む私の古くからの友人のフランス人は、何度も来日していて日本をよく知っているはずなのに、「福島に近い東京は大丈夫か」と手紙をくれた。

 このような状況なので、現在、秋田のキャンパスには留学生わずか31人を残すのみとなり、この4月に入学予定だった145人の留学生からのキャンセルも相次いでいる。米国有数の大学やカレッジから80人ほどが参加する予定だったサマープログラムも、参加者の激減で中止せざるを得なくなりそうだ。

 ◆誇張された海外メディア報道

 私は4月1日に、全教職員を集めての英語による新学期開始の訓辞で、日本は、原子力発電の危機も含めてこの国難を必ずや克服するであろうこと、センセーショナルに誇張された外国メディアの報道に対しては、教職員一人一人が積極的に発信して事実を伝えるようにしてほしいことを、半数以上が外国人である教職員たちに、強く訴えたのであった。

 授業も公式な会議もすべて英語で行っている国際教養大学では、衛星ニュース局、米CNN、英BBCの両テレビとも常時、放映されているのだが、その報道ぶりを見ていると、日本はもはや、全土が「危険な国」であり「チェルノブイリ化した国」であるかのような印象を与えるものが目立っている。これでは、留学生が帰国したり留学をキャンセルしたりしてくるのも無理ないかもしれない。

 今回の大震災でさらけ出された国際的に最も致命的な問題の一つは、わが国の対外広報体制の脆弱(ぜいじゃく)さと、その結果としての国外への発信力不足であった。

 ◆同時通訳横に記者会見を

 グローバル化した今日の世界において、とりわけCNNやBBCのニュースは四六時中全世界、全地球を駆けめぐって、英語による強力な発信を繰り返している。それに引き換え、わが国のテレビや新聞はどうであろうか。特に、テレビは大切な放送時間を、バラエティーショーやお笑いなどの番組に余りにも費やしてはいないだろうか。

 対外発信を強めるのは、そう難しいことではないように思う。

 枝野幸男官房長官の定例記者会見は、会場では、ヘッドフォンにより英語の同時通訳も聞けるようになり、原子力安全・保安院も英語での会見を別途、行うようになっている。東京電力のものも含めたこれらの会見を、日本在住・滞在の外交官、外国人にもテレビを通じてはっきりと分かるようにしてはどうか。要は、会見者の横に同時通訳者が並ぶことである。それだけでも、対日不信の抑制にかなり効果があるはずだ。

 わが国にとり、日頃から、敏速で正確な広報体制を確立し、そのための人材を養成しておくことが急務であるということを、今回の大震災は改めて教えてくれた。秋田という地方にあって、本学は各国との受発信の根拠地として、そんな取り組みの一端を今後とも担っていくつもりだ。(なかじま みねお)

拓殖大学学長・渡辺利夫 国家と共同体を心に刻みつけた(産経N)

私の上半身にはいくつもの火傷(やけど)の痕がある。大戦時の空襲により真っ赤に燃える甲府の街を恐怖に震え逃げ惑いながら負った火傷である。母の里に避難した後、我(わ)が家のあった辺りに戻った私の目の前に広がっていたのは、2つの地場の百貨店が黒く焼け爛(ただ)れて立っているだけ、他は延々の焼け野原であった。

 東日本大震災、津波が黒く巨大なエネルギーの塊となって太平洋側の町や村を次々と飲み込み吐き捨て残していった瓦礫(がれき)の山は、幼少期の経験と二重写しとなって私のトラウマを呼び戻す。「第2の敗戦」である。

 大震災以前、多くの日本人は国家と共同体に価値を求めず、自由な個として生きることを善しとする気分の中に漂っていた。国家とは口にしにくいから市民社会と言い、国民とも言いにくいので市民と言うような気分である。地球市民などという迷妄の用語を弄ぶ政治家さえいた。私はそういう気分のことをポストモダニズムと呼び、こんな軽薄な気分ではナショナリズム鬱勃たる中国、ロシア、朝鮮半島を近在に擁する日本は彼らと共存することさえ難しいと本欄を通じ何度も主張してきた。

 ≪感銘与えた自衛隊などの献身≫

 実際、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、ロシア首脳の国後島訪問、北朝鮮軍による韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件と、日本の安全を脅かすことごとが起こったものの、民主党政権は主権国家としてのまともな対応を何もしないままに打ち過ごしてきた。のみならず、日本の安全を保障する唯一の制度的装置たる日米同盟を危殆(きたい)に貶(おとし)めて恬然であった。国家観念の希薄な政権中枢部にあっては、国益とは何かが不分明だったのであろう。

 しかし、東日本大震災がまぎれもなく顕現したのは「国家」であった。このような非常事態に際しては情報収集と危機管理を徹底して一元化し、国民的な力をみずからに引き寄せて事に当たる政治的凝集力が不可欠である。司令塔たるべき官邸のこの面における対応は信じ難いまでに拙劣であった。その責任はいずれ糾弾されねばならないが、いまは言うまい。

 司令塔は機能麻痺(まひ)状態にありながら、それゆえ行動展開には難があったのだろうが、自衛隊、消防、警察、海保などの犠牲を厭(いと)わず被災民の救済に献身する姿に感銘を覚えなかった者は少なかろう。自衛隊は総隊員数の半数10万人余を出動させ、生ける者は能う限り救助し、死せる者は積もる瓦礫を掻き分け探し求め、埋葬に携わって不眠不休の1カ月に耐えた。この光景の中に人々は国家というもののまぎれもない存在を心に深く刻みつけたに違いない。

 米軍は2万人近い兵力を投入、空母ロナルド・レーガンをはじめ20隻の艦艇、140機の航空機をもって救助活動を展開した。日米同盟という国家関係があったればこそである。日本は救助されねばならない国家だ、米国にそう認識させる何ものかを日本という国家はもっていたのである。国家なき市民社会などいう物言いがいかに虚妄であったかは自明である。

 ≪1杯のうどん譲り合う避難所≫

 東日本大震災が露(あら)わにしたもう1つは共同体の強靱(きょうじん)性である。共同体なくして人は人生を全うできない。この余りにも当たり前のことをわれわれは忘れ、個として生きることが善きことであるかのような幻想を抱いてこなかったか。温かいうどんが配られると聞いて避難所前に整列した人たちが、配られるのは20数杯だと言われて、受け取ったうどんの茶碗(ちゃわん)を後ろの人に渡し、渡された人がさらに後ろの人に渡していって最後には老人と子供にこれが行き着くといった光景をみて、私の胸はつまる。

 共同体を共同体たらしめている精神と原理が、東北地方の農漁村の共同体の中には、しなやかにも生きていたのである。共同体を蘇生(そせい)させねばならない。全うな共同体に支えられずして、全うな国家が存立できるはずはないからである。政権中枢部のぶざまな不作為は、被災地住民からなる共同体の忍耐強い相互扶助によって、辛くも救われているのではないか。

 ≪「天罰」ではなく「天恵」に≫

 日本人の精神の一番奥深いところにある共同体の精神と原理が消失していない以上、いずれ被災地は復興するに違いない。長い平成不況の中を漂い、かといって食うに困るわけでもなく、ただ寡黙に沈殿してきた日本の国民に、国家と共同体の重要性を悟らせたものが東日本大震災であったとすれば、これは「天罰」ではなく「天恵」であったと受けとめねばならない。

 「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」

 陛下のこのお言葉の中に、私どもが求めねばならない国家共同体のありようが、深々と表出されていると私は思うのである。(わたなべ としお)

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する自衛隊の活動状況(20日08時00分現在)

(3) 自衛隊の活動
○陸自

(4月19日)

04時45分 北部方面航空隊 UH-1映像伝達機×1機が余震の状況偵察のため八戸離陸

07時00分 第9師団各部隊 陸前高田市等において捜索活動開始

07時45分 第12施設群 気仙沼市において捜索支援、瓦礫除去等開始

07時50分 第13施設隊 南三陸町において捜索支援、瓦礫除去等開始

08時15分 中央即応連隊 捜索開始

08時30分 第301坑道中隊 南三陸町において捜索支援、瓦礫除去等開始

09時25分 第1戦車群 捜索活動開始

○海自

(4月19日)

05時09分 第2航空群固定翼機、秋田内陸部で発生した地震の偵察飛行実施

08時15分 第2航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

08時17分 第72航空隊回転翼機、被災地における捜索救助飛行実施

13時37分 「えんしゅう」、気仙沼大島の被災者に対し、救援物資を輸送

○空自

(4月19日)

05時07分 秋田救難隊UH-60×1機が、余震の状況偵察のため秋田離陸

06時57分 松島基地が捜索救助開始

06時58分 松島基地が物流管理支援開始

07時33分 北空派遣隊(山田)が捜索救護開始

07時57分 北空派遣隊(山田)が物資輸送開始

08時05分 北空派遣隊(山田)が炊き出し開始

08時08分 松島救難隊U-125とUH-60Jが石巻周辺で捜索救助活動開始

08時15分 北空派遣隊(山田)が救護作業開始

08時25分 松島基地が環境整備(大曲地区清掃)開始

08時27分 北空派遣隊(山田)が捜索救護開始

08時37分 松島基地が環境整備(参考館清掃)開始

08時54分 松島基地が瓦礫除去開始

09時13分 松島基地が医療支援開始

11時28分 入間ヘリCH-47 救援物資輸送のため石巻総合グラウンドから清崎運動公園まで空輸

12時47分 第3輸送航空隊C-1が救援物資(食糧)を福岡から花巻へ空輸

○原子力災害派遣による活動

(4月19日)

08時00分 第12旅団各部隊等 福島第1原発30km圏内において捜索開始

東電、1号機の燃料溶融の可能性認める 「炉心がドロドロに溶けた状態」(産経N)

福島第1原発事故で、東京電力の松本純一原子力・立地本部長代理は、1号機の燃料溶融について「炉心の状態が確認できないが、決して溶融していないと断定して申し上げているわけではない」と燃料溶融の可能性を認めた。20日の記者会見で話した。

 松本部長代理は、炉心溶融のイメージとして「炉心がドロドロに溶けてぼたぼたとたまっている状態。被覆管が割れて燃料棒が飛び出してくる形状もあると思うが、それらを炉心溶融ととらえている」とした上で、燃料が溶融しているか損傷しているかについては「わたしどもとしては急いで定義することは考えていない」とした。

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する自衛隊の活動状況(19日08時00分現在)

防衛省・自衛隊の対応(1) 派遣規模
人 員 : 約106,550名
(陸災部隊:約70,000名、海災部隊:約14,500名、空災部隊:約21,600名、原子力災派部隊:約450名)
航空機 : 503機
(回転翼186機、固定翼317機)
艦 船 : 50隻  が活動中
※3月14日、東北方面総監を指揮官とする統合任務部隊を編成

(2) 主な対応状況
ア 大規模震災災害派遣

(ア)関係命令
 3月11日14時50分 防衛省災害対策本部設置(本部長:防衛大臣)
 3月11日18時00分 大規模震災災害派遣命令
 3月16日11時58分 予備自衛官及び即応予備自衛官の災害等招集命令
 3月17日22時00分 大規模震災災害派遣命令の一部変更命令

(イ)活動内容
 航空機による情報収集、被災者の救助(19,247名)、人員及び物資輸送、給食支援、給水支援、入浴支援、医療支援、道路啓開、瓦礫除去、ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、自衛隊施設(防衛大学校)における避難民受け入れ、慰問演奏

イ 原子力災害派遣

(ア)関係命令
 3月11日19時30分 原子力災害派遣命令(12日09時20分廃止)
 3月12日09時20分 原子力災害派遣命令
 3月17日03時00分 原子力災害派遣命令の一部変更命令
 3月19日01時00分 原子力災害派遣命令の一部変更命令
 4月15日18時25分 原子力災害派遣命令の一部変更命令

(イ)活動内容
 避難支援、給水支援、人員及び物資輸送、原子炉冷却のための放水、モニタリング支援、ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、上空からの撮像、集じん飛行支援

ウ 現地調査団等の輸送支援

 ・ 政府調査団(第1陣:宮城県)の現地派遣
 ・ 経済産業副大臣及び原子力安全・保安院職員等の現地派遣
 ・ 総理大臣の現地視察(福島第1原発及び宮城県被災地上空等)
 ・ 政府調査団(第2陣:岩手県及び福島県)の現地派遣
 ・ DMAT(災害派遣医療チーム)の輸送支援
 ・ 防衛大臣現地視察(統合任務部隊編成)
 ・ 防災担当大臣現地視察
 ・ 防衛大臣現地視察(原子力災害派遣部隊現地調整所)
 ・ 防衛大臣現地視察(海災任務部隊、被災地、松島航空基地)
 ・ 総理大臣の現地視察(宮城県石巻市、東北方面総監部、松島航空基地)

エ その他

 3月18日(金)東北地方太平洋沖地震による被災地域において、自衛隊の部隊が実施する救援活動等に係る予備費の使用を閣議決定(約54億円)

(3) 自衛隊の活動
○陸自

(4月18日)

07時00分 第9師団各部隊 陸前高田市等において捜索活動開始

07時50分 第50普通科連隊 河北町等において捜索活動開始

07時55分 第12施設群 気仙沼市において捜索支援、瓦礫除去等開始

08時00分 第13施設隊 南三陸町において捜索支援、瓦礫除去等開始

08時00分 第6特科連隊及び第6高射特科大隊 東松山市等において捜索活動開始

08時00分 第1特科団各部隊 石巻市等において捜索活動開始

08時00分 第8普通科連隊 捜索活動開始

08時30分 301坑道中隊 捜索支援、瓦礫除去等開始

08時33分 第14特科隊 石巻市等において捜索活動開始

08時40分 東北方面特科隊 捜索活動開始

09時10分 第46普通科連隊 捜索活動開始

09時15分 第1戦車群 捜索活動開始

09時30分 第17普通科連隊 捜索活動開始

11時00分 第12旅団各部隊 30km圏内捜索のため各集結地を出発

13時09分 中央即応連隊 広野町一帯における捜索開始

○海自

(4月18日)

10時00分 第2航空群、八戸地区被災者に対する受け入れ支援終了

14時25分 「くにさき」、渡波地区被災民43名に対し入浴支援実施

14時25分 「くにさき」、渡波地区被災民に対し健康相談及び物資(灯油、食糧、日用品等)提供実施

16時00分 「ちくま」、大島被災民32名に対し入浴支援実施

16時26分 「さわゆき」、大島被災民36名に対し入浴支援実施

16時56分 「ゆら」物資輸送作業終了(陸自大型トラック×2、軽油ドラム缶×96)

17時00分 横須賀警備隊、宮城県石巻市中央市営駐車場にて被災者163名に対し、入浴・シャワー支援実施

○空自

(4月18日)

06時56分 松島基地が捜索救難開始

07時00分 松島基地が給水支援開始

07時06分 松島基地が物流管理支援開始

07時27分 北空派遣隊(山田)が瓦礫除去等開始

07時35分 北空派遣隊(山田)が炊き出し開始

07時40分 北空派遣隊(山田)が物資輸送開始

08時00分 新潟救難隊U-125×1機が捜索救難のため離陸(12時58分 松島着陸)

08時00分 松島基地が環境整備(成瀬第2中学校)開始

08時12分 新潟救難隊UH-60J×1機が捜索救難のため離陸(12時53分 松島着陸)

08時30分 松島基地が環境整備(大曲地区清掃)開始

08時30分 北空派遣隊(山田)が捜索開始

09時00分 中空派遣隊(松島)が瓦礫除去等開始

09時12分 松島基地が医療支援開始

09時30分 松島基地が瓦礫除去開始

09時53分 第1輸送空隊が救援物資輸送開始

11時11分 入間ヘリCH-47 救援物資輸送のため石巻総合グラウンドから清崎運動公園まで空輸

11時20分 松島基地が給食支援開始

12時53分 新潟救難隊UH-60J×1機が捜索救難のため離陸(17時03分 松島着陸)

12時58分 新潟救難隊U-125×1機が捜索救難のため離陸(16時57分 松島着陸)

13時51分 第2輸送航空隊C-1が救援物資(食糧)を福岡から松島へ空輸

14時49分 第1輸送航空隊C-130Hが救援物資(食糧、給水袋等)を名古屋から松島へ空輸

○原子力災害派遣による活動

(4月18日)

08時30分 偵察航空隊RF-4×1機 原発の航空偵察(写真撮影)のため百里を離陸(09時01分 百里着陸)

東洋学園大学教授・櫻田淳 独裁的権限を任す政治家の要件(産経N)

個人的な話で恐縮であるけれども、此度の震災に際して、筆者の故地である宮城県栗原市では7という最高震度を記録し、高校まで過ごした青森県八戸市には、高さ10メートル近くの津波が押し寄せた。筆者にとって「縁」のある土地を軒並み襲った震災であればこそ、筆者は、政治学徒として政府の対応を注視せざるを得なかった。

 震災後、日本の大方の「市井の人々」が示した「忍耐」、さらには自衛隊、警察、消防、関係自治体、東京電力関係の「現場の人々」の示した「奮励」は、多くの国々の称賛を呼んでいる。しかしながら、そうした人々の「忍耐」や「奮励」を当然のように恃(たの)みにする統治は、それ自体の質としては最低の部類に属する。

 ≪及第点には遠い菅政権の対応≫

 政治指導層の役割とは、平時においては戦争や災害のような有事に際して人々が「忍耐」を強いられる時間を局限できる仕組みを構築することであり、有事においてはそうした仕組みを適切に機能させることである。震災後1カ月近くの菅直人政権の政策対応は、そうした「忍耐」の時間の局限に明らかに失敗し、その時間を長引かせているという意味で到底、及第点を付けられる代物ではない。

 早晩、震災からの「復興」に向けた議論が始まるであろうけれども、その議論に際しては、統治の「復興」の如何(いかん)もまた論題に含まれる。人々の「忍耐」や「奮励」と菅政権の対応における「稚拙」が際立った対照を成していればこそ、震災後の課題としての「統治の『復興』」には、相応の関心が払われるべきである。

 ところで、統治の「復興」という文脈で検証されなければならないのは、民主、自民両党における「大連立内閣」樹立の動きへの評価である。確かに、現下の震災には与野党の垣根を越えた対応が要請されるという議論には、誰も異論を唱えないであろう。ただし、この「大連立」の枠組みを語る際には、次に挙げる2つの事実は、踏まえられる必要がある。

 第1に、「過去に政権を担ったことのない政党」が「大連立」を主導した事例はない。たとえば、1960年代後半の西ドイツにおいて、クルト・キージンガーを首班とするCDU(キリスト教民主同盟)とSPD(社会民主党)の「大連立内閣」は、CDU主導のものであった。「過去に政権を担当したことのない政党」であったSPDが自前の内閣を組織したのは、マルクス主義の放棄を趣旨とする政党としての「自己変革」に加え、「大連立内閣」への参加を通じて政権を担う政党に相応(ふさわ)しい「経験の蓄積」を図った上でのことであった。

 ≪大連立率いるべきは自民党≫

 故に、民主、自民両党の「大連立」が成った場合でも、その実態は、自民党主導のものでなければならない。一昨年夏の「政権交代」以前から民主党に問われていたのは、往時のSPDに類する「自己変革」や「経験の蓄積」ではなかったか。そうした過程を経ないまま政権を担当したことにこそ、民主党政権2代の矛盾が表れているのではないか。

 第2に、「挙国一致内閣」や「大連立内閣」が出現させるのは実質上、野党の存在を消滅させる「独裁」の風景であるが故に、その首班には相当に高度な政治上の資質や見識が要請される。問われるべきは、菅直人という政治家がそうした実質上の「独裁」を手掛けるに相応しい資質や見識の持ち主であるかということである。

 振り返れば、古代ローマには、「独裁官」という官職があった。国家の危急の時に、元老院が任命した臨時にして時限的な官職であり、その権限は誠に広範なものであった。たとえばプルタルコスが著した『英雄伝』(柳沼重剛訳、京都大学学術出版会)には、第二次ポエニ戦争の折に「独裁官」に任ぜられたファビウス・マクシムスの言葉が記されている。

 ≪大震災は統治の「復興」も求めた≫

 「祖国のために何かと恐れるのは恥ではないが、人々の意見を聞いたり、中傷や非難を受けたりして心が動揺するのは、かほどの支配権を持つ者には似つかわしくない」

 このファビウス・マクシムスの言葉は、「独裁的な権限」を任せられた政治家に要請されるのが、その権限に拠(よ)って何を行うかという確固とした方針であり、その方針を貫徹する意志であることを伝えている。菅首相には果たしてそうした方針や意志はあるのか。

 震災後僅か1カ月近くの間に、「大連立」樹立への動きは浮かんでは消えた。谷垣禎一・自民党総裁は、菅首相からの打診を拒絶する意向を2度も示した。しかしながら、過去の事例に照らし合わせても、現下の「大連立」樹立への模索には無理があったということは、確認されるべきであろう。統治の「復興」に際しての第一歩は、「誰が権力を持ち、その故に誰が最後の責任を背負うか」ということを明示することに他ならない。それは、結局、統治という営みの最も基本的な作法に則(のっと)るということでしかないのである。(さくらだ じゅん)

米専門部隊が来週帰国 当面危機回避と判断(産経N)

東京電力福島第1原子力発電所事故を受け、日本に派遣されていた米軍の専門部隊「化学・生物兵器事態対応部隊=CBIRF(シーバーフ)」の要員約150人が来週前半に帰国することが18日、分かった。第1原発が依然予断を許さない状況ながらも、当面危機的な事態に陥る可能性は低いとみているためだ。さらに東電が17日に事故収束に向けた工程表を発表したこともひとつの「区切り」として、派遣をいったん打ち切る判断材料にした。

 ただ、事態が悪化すれば再派遣される。同部隊は帰国前に陸上自衛隊の専門部隊「中央特殊武器防護隊」と図上研究を行い、緊急事態での日米共同対処計画の策定も終える。

 近く北沢俊美防衛相がシーバーフの拠点である米軍横田基地(東京都)を訪問し、謝意を伝える。

 シーバーフの主力140人は今月2日から4日にかけて来日した。先遣隊と合わせ150人態勢を敷き、横田基地で連日訓練を実施していた。16日には一部の要員が陸自郡山駐屯地(福島県)に展開している中央特殊武器防護隊の活動を視察したり、福島市内の除染所を訪れた。

 シーバーフの支援内容としては、陸自の要員だけでは対応しきれない可能性がある大規模な放射性物質(放射能)漏れなど緊急事態が起きたときの除染作業が想定されていた。

原発30キロ圏内、自衛隊が不明者を集中捜索 2500人規模で(産経N)

北沢俊美防衛相は18日午前の防衛省災害対策本部会議で、東京電力福島第1原発から30キロ圏内での行方不明者捜索を、同日中に始めると表明した。捜索は陸上自衛隊第12旅団(群馬県)が2500人規模で実施。南北両側の沿岸30キロ地点から原発方向に向けて捜索する。

 北沢氏は「福島県から30キロ圏内の捜索を求められていることを踏まえ、準備が整い次第開始する」と述べた。原発から10~20キロ圏内では、今月7日から警視庁と福島県警が捜索を開始。14日からは同県警が10キロ圏内で捜索を実施している。

原発30キロ圏内、自衛隊が不明者を集中捜索 2500人規模で(産経N)

北沢俊美防衛相は18日午前の防衛省災害対策本部会議で、東京電力福島第1原発から30キロ圏内での行方不明者捜索を、同日中に始めると表明した。捜索は陸上自衛隊第12旅団(群馬県)が2500人規模で実施。南北両側の沿岸30キロ地点から原発方向に向けて捜索する。

 北沢氏は「福島県から30キロ圏内の捜索を求められていることを踏まえ、準備が整い次第開始する」と述べた。原発から10~20キロ圏内では、今月7日から警視庁と福島県警が捜索を開始。14日からは同県警が10キロ圏内で捜索を実施している。

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