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遺骨は…艦長の娘の思いは深く 開戦直前「勉強しなさいね」(産経N)

 オーストラリア北部のダーウィン沖に今も英霊たちとともに眠る旧帝国海軍の潜水艦「伊号第124」について、以前の小欄でつづった。
 同艦の岸上孝一艦長(海軍中佐)の遺族である長女の敦子さん(84)=和歌山県田辺市=にお話を聞くことができた。ダーウィン沖で昨秋行われた多国間海上合同訓練派遣中に、現地で日豪合同慰霊式に参列した海上自衛隊護衛艦「はたかぜ」の梅崎時彦艦長(海自一等海佐)が式の報告を敦子さんに行うのに同行させていただいた。
 当時、広島県の呉鎮守府に赴任していた岸上艦長と敦子さんの最後の思い出は昭和15(1940)年夏のことだ。小学生だった敦子さんは夏休みの1カ月間、東京や日光に家族旅行に出かけた。
 父に特別に変わった様子はなく、旅程が終わると、神奈川県の大船駅ホームで「勉強しなさいね」と短く言葉を残し、スーツケース1つ持ったまま平然と去って行ったという。生前の父の姿を見た最後だった。艦長は翌年の開戦を前に、同県の横須賀鎮守府での任務に就いたとみられるが、家族には秘めていた。
 開戦直後の昭和17年1月21日。「伊号第124」は作戦中に、米豪軍の攻撃で沈没し、岸上艦長ら艦員80人が戦死した。同月、艦長は短い手紙を家族に送っていた。「暑いところで汗を流しつつ缶詰の雑煮をたべた」などと書かれていた。艦長の戦死が伝えられたのは17年初夏だった。「紙に氏名だけが書かれた箱が届いたのを記憶しています」(敦子さん)。
 少女から大人になった敦子さんの亡き父への思いは募った。「父はどんな所で戦死したのか、遺骨は…」。敦子さんは行動を起こした。産経新聞などでも当時、度々その思いは紹介され、その紙面を敦子さんは大事に保管されていた。
 『父さん眠る海 日豪結ぶ愛の手配』(産経・昭和32(1957)年5月22日)は、敦子さんが日豪親善事業の関係者らの好意でダーウィンの写真を入手したことを伝えている。『元艦長の娘の悲願 潜水艦引き上げて』(産経・33年6月20日)は、敦子さんの思いで、日豪関係者の間に「伊号第124」の引き上げの機運が出てきたことを伝えている。
一方、ダーウィンでは同艦の船体が海中で発見され、現地業者が所有権を主張し、日本政府に億単位で売却を打診するという情報も駆け巡った。こうした動きを受けて、『船体確認 引き上げに七千万円 遺骨収集は断念か』(産経・33年7月28日)という記事も掲載されている。
 敦子さんはそれでもあきらめずに、当時の厚生省援護局、外務省などに、船体の引き上げと遺骨の収集を艦員の遺族代表として長年にわたって陳情し続けた。
 しかし、その思いは現在もかなっていない。「今はそっとしておいてほしい」と老齢の敦子さんの言葉は少なかった。
 敦子さんは母親のふさえさん(故人)が自宅そばの海岸でよく言っていた言葉を思い出すという。
 「この海はお父さんが眠る海とつながっている」
 敦子さん宅の仏間には岸上艦長の遺影と「伊号第124」の船体写真が掲げられていた。
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